本『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』の感想。十二国記シリーズ

本『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』自己啓発的な感想。十二国記シリーズ

期待を裏切らない。
期待を上回る。

おもしろすぎて興奮がおさまらなかった十二国記シリーズの『白銀の墟 玄の月』。

やっぱり好き!
すごく好き!
大好き!泣泣泣

 

2019年10、11月。
十二国記の長編としては18年ぶりの新作『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』全4巻が新潮文庫から発売されました。
作者は小野不由美さん。

 


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読むのがもったいなくてなんとなく手をつけていなかったけれど…
とうとう読みました!

おもしろすぎて泣ける。
っていうか、実際に読みながら泣いた。
しかもけっこう号泣のレベルで笑

 

実は数か月前に読み終わっていたのですが、胸がいっぱいで感想が書けず。
この小説全体に関する感想は、やはり今も書けない…

私の国語力・文章力では、この本を読んで感じた気持ちや想いを言語化することができません。

 

でも一部の、ごく一部の短い文章で感じたことについてだけなら感想を書くことができるかも、と思い…

自己啓発的に私に刺さった所を引用して、その部分について私が感じたことを書いてみようかな、と。

 

ということで、この本の全体ではなく、ピンポイントの一部分についてのみの感想となります。

あらすじや登場人物の説明などは書いていないので、ご了承ください。
なお、ネタバレしている部分もあるので、NGの方はご注意ください。


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「白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)」の感想

驍宗がそこにいる限り、阿選は息ができない

王になった驍宗とずっとライバルだった阿選。

武力や知力がすぐれていて。
部下からの信頼も厚い。
人間としても素晴らしい、と慕われていた阿選が道を誤った。
謀反を起こした。

その理由が、自分が見下されることへの苦しさだったのか、と。

 

謀反の動機がマウントだった、という所が意外でもあり、リアルに感じました。
マウントや嫉妬は、自分も周りも見失って、信じられない行動を引き起こすことがある。

 

一部に頑強に阿選と驍宗を比べる勢力がいる。やはり阿選は忘れさせてもらえなかった。呼吸を奪われている感じ - 息が詰まる。驍宗がそこにいる限り、阿選は息ができない。
(略)
驍宗を知っている者が、驍宗よりも阿選が上だ、驍宗こそが阿選の紛い物だったのだと納得しなければ意味がない。

『白銀の墟 玄の月』より引用

 

最近私は自分のマウント思考をなんとかしたいと思っているので、とても刺さりました。
(過去記事:イライラする原因は嫉妬や妬み?マウントを取って上に立ちたい優越性の追求という本能

 

きっと阿選自身が、自分は驍宗より下であると自覚してしまったんだろうな、と。
もし阿選が自分より愚かな人を見下さない人ならこうはならなかったけれど。
阿選には人を見下す所があった。
だから、阿選は、自分がしているのと同じように驍宗から見下されていると思いこんでしまった。
それが苦しかったんだろうなぁ、と。

阿選自身が自分で自分を苦しめて、それに囚われてしまった。

 

優越感や嫉妬が人間に与える影響は甚大なんだろうなぁ…
それはどんなに優秀で立派に見える人でも、同じなのかもしれないなぁ…

道を踏み外すきっかけは、どこにあるかわからない。
私も意識して気を付けなければ、と思いました。

 

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民が保身を考えてはいけないのか?

以下は李斎のセリフです。

 

「我々仙が、数々の特権を得、金銭的な厚遇を得ているのは、それなりの責任があってのことだ。ゆえに保身のための行動は許されない。だが、民は我が身のことを考えるのが正しいのだと思う。自分と自分の家族、周囲の人々。- 民にはそれ以上の人々に対して何かを為す権限がない。権限がない以上、責任を負う必要もないのだ」

『白銀の墟 玄の月』より引用

 

ここを読んだときに、とても腑に落ちたんですよね。

ここで言っている内容を一般的な今の現実の会社として例えると、
民は、部下。
仙は、上司(管理職や経営者)。

つまり、組織において権限がある立場の仙(上司)は、保身のための行動は許されず責任を負う必要がある。

 

というのも、私は過去に保身に重きをおいている上司の部下になったことがあるんですよね。
それはもう、自分的には、悲惨でした。

 

その上司は、『白銀の墟 玄の月』の登場人物でいうと、張運のような上司で。

以下は、張運の部下にあたる案作の心の声です。

 

保身が巧いだけの無能だ、というのが案作の張運に対する評価だった。張運が多少なりとも能力があるふうを装えたのは、そばに案作がいたからだ。自負心ばかりが高く、己の無能に自覚のない張運を操縦するのは一苦労だった。正面から提案すれば出過ぎだと言って敵愾心を持つ。さりげなく提案し、あたかも張運自身がそれを思いついたかのように誘導し、褒めて後押しをする。一旦その気になっても、保身にのみ知恵の廻る張運は、すぐさまそれによって自身が被る不利益を数え始める。そこをいなし、不安が生じないよう根廻しをし、決断させる。

『白銀の墟 玄の月』より引用

 

「張運みたいな人、滅多にいないって」
と若い頃の私は思っていましたが、そんなことはない。
張運みたいな人は、あちこちにいる。
ナチュラルにいる。

部下にならないと、気付かないだけ。

 

案作は、処世術という点ではやり手だなー、と思います。
私はその上司が保身を重視していることにずっと気づけなかったし。
正面からの提案以外しなかったので、その上司から納得できない理由で否定され続けたような。

敵愾心を持たれていたのか…
生意気で気に食わない、とは思われていただろうけど…
まぁ、似たようなものかもしれませんね。

 

とはいえ…

今の私が過去に戻ったとしても、案作のような振る舞いはできないだろうなぁ。

ストレスが半端ない。
自分のメンタルへの負担が大きすぎる。
耐えられない。

 

今の私の近くに張運みたいな人がいたとしたら…
係わらないことに全力を注ぎます。

こういう人と係わって、消耗して。
自分を擦り減らす。

失われる自分の気力・体力・健康・時間。

無駄だった。
頑張る所はそこじゃない。

 

まぁ、別な見方をすると…
組織の目標達成よりも、自分への負担や自分の身の回りのことを考える。
保身を考えている私は組織内で権限を持つべきではないってことだろうなぁ、とも思ったり。

 

もう少しうまく立ち回ることができればいいのに、とも思うけれど、
案作のようにできなくてよかった、とも思う。

でも、それでいいのかもしれない。
なんてことを思ったりしました。
(強がってるだけかな!?笑)

 

生き残った者の数を数えるんだ、こういうときは

この話、めちゃくちゃ人が死んじゃうんですよ…
最後になればなるほど、いっぱい死んじゃう。

最終巻は、泣いてばっかりだったような気がします。
(私が)

 

そんな中、最後の方で李斎の心の声として書かれていたのが以下。

全員が常に戦い続けていた。そして、戦うとはこういうことだ。

『白銀の墟 玄の月』より引用

 

ハッとしましたよね…

現在の状況を変えようと思うなら。
力のある者に従わずに戦おうと思うなら。

リスクを負う。
何かを失う。
犠牲を払う。

戦うとは、こういうこと。

 

そしてその後、別なシーンの項梁のセリフと心の声。

「生き残った者の数を数えるんだ、こういうときは」
戦うとは ― こういうことだ。そして、戦いは終わったわけではない。
(略)
確実なことなど何もない。- この世の無常。

『白銀の墟 玄の月』より引用

 

確かに私は失った人のことばっかり考えてた…
生き残った人のことより、失った人のことばかり。

残った者に目を向けることを忘れてた…

 

戦わなくてはいけなくなって、戦うことに決めて。
その結果、たくさん失っても。
残っているものだって、きっとある。
きっと、目の前にたくさんあるはず。

戦うことは失うことでもあるけれど。
だからと言って、悲観的になりすぎる必要もない。

残ったものに目を向ければいい。

 

確実なことは何もないけれど、残ったものに目を向けることを忘れなければ。
大丈夫なのかもしれない。

と、なんだか勇気をもらいました。


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あとがき

十二国記シリーズの『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』。
かなりの長編で、読みごたえがありました。

話が進めば進むほど、本を読み続けたくなる感じ!
おもしろかった!

最終巻の怒涛の展開が、本当にすごい!

 

そういえば、ストーリーの中には今の日本社会を例えているのでは?と思うような所もありますよね。
(傀儡(くぐつ)がいっぱいいる戴の王宮とか。病むとか。機能してない組織とか)

メッセージ性も感じられるというか。

深い…

 

何年たっても、私は十二国記が好きだー!!!

 

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