金原ひとみさんの小説『アタラクシア』の感想。故郷のような懐かしさと息苦しさ

金原ひとみさんの小説「アタラクシア」を読みました。
読み終わってから時間がたっても、未だに私の中にあるグサッとしたものがなくならない。。

 

尖ってましたね~。
人の黒い弱い部分に目を向けたような小説に私は感じました。

面白かったです。
読み終わった後に、
「うわ~~~・・・・・」と息を吐きながら、頭を抱えて机に突っ伏したい気持ちになりました。

 


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エンタメ的なおもしろさもあって、人間関係や過去を推理するようなミステリーっぽい所も私は感じました。

読み終わっても希望はあまり感じなかったしスッキリしない終わり方だけど、自分のことを見つめ直すきっかけになるような小説だったなぁ、と。
20代以上の女性なら、何かしら感じるところはあるんじゃないかなぁ、と思ったりしました。

個人的な感想としては、故郷のような懐かしさと息苦しさを感じたんですよね。
登場人物の誰かのどこかの部分は、自分と重なる所があるような気がします。
この小説の自暴自棄な世界に、ホーム感があったというか。
過去の自分と重ね合わせてるのかもしれません。

 

そうそう、夜の営み系の表現がとても生々しかったです。
私の知らない単語や表現が多々出てきたり笑
18歳以上の方が読むことを個人的には推奨したい!

 

ということで、以下は本「アタラクシア」のネタバレありの感想です。
私が感じたことをメインで書いていて、詳細なあらすじは書いていませんのでご注意ください。

なお、読み終わっていろんなことを考えたんですけど、まとめられないような気がすでにしています。
はちゃめちゃな感想になるかと思いますが、私個人の備忘録になりますのでご容赦いただけますと幸いです。

 

囲まれてる

 

浮気や不倫に、DVに、虐待に…、と書くとすごい話ですね。
アタラクシアの意味「心の平静不動な状態」は、登場人物達のどこに当てはまるんだろう?
登場人物達が求めているのが、「アタラクシア」ってことなのかなぁ…

 

主人公が一人ではなく、章によって違うんですよね。
章によってそれぞれの登場人物が主観的に書かれていて、とても面白かったです。
自分で自覚している自分と他人から見える自分はこういう風になるのかなぁ、と。
もしかしたら他人から見える自分の方が本質で、自分で自覚している自分の方が偽物?だったりするのかなぁ、とか。
人は多面性のある生き物で、自分自身でも自分のその多面性に気が付いていないことが多いのかなぁ、とも思いました。
私もそうなんだろうなぁ、と思ったり。

 

多面性という点でいうと、荒木は恐ろしかったですね。
最後読み終わってから、荒木が出てきた章を読み返してしまいました。
荒木が主人公の章はなかったので、客観的に見た姿からの多面的な姿でしかないのですが、怖すぎるな、と。
荒木自身は自分のことをどういう風に自覚していたのか…
興味深くはあるけど怖すぎるので知りたくないかも。

 

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私個人のことになるし、今は良くないことだと思っているんですけど、
この小説の登場人物の「自分以外はみんな敵」みたいな世界にホーム感があるんです。
故郷みたいな懐かしさがあります。
やっぱりみんなこう思って生きてるんじゃん!みたいな。

まぁ、私はビビりでヘタレなので、この小説の登場人物みたいな大胆な言動をしたことはないんですけど、
でも自分や自分以外の人との向き合い方の方向性として、過去の自分と近いものを感じました。

 

ただ、過去の自分や故郷への懐かしさと同時に、今の私はそこに息苦しさも感じたんですよね。

昔はこの「アタラクシア」みたいな世界がホームで、自分が思うように周囲も思っていると安心できて、みんなこういう考え方なんだ!と思えることが良かったと思うんですけど…

でも大人になって年を取った今は、こういう世界は良くないと思ってるんです。
違う世界もあることを知ったからそう思ったんだと思うんですけど…
だから懐かしさと同時に息苦しさを感じたんだと思います。

 

全員じゃないですけど、アタラクシアの登場人物は他人も、たぶん自分のことも信じていなくて。
無意識かもしれないけど、自分に対して、自分のことを大切にしてない自暴自棄な人が多いんじゃないかなぁ、と。
そうすると結果的に他人に対しても、誠意がない不誠実な人になってしまうというか。
まぁ、つまり私にもこういう所があるからそう思うんだと思います。
(私の良くない所だと思ってます)

登場人物に対して、まずは自分のことを大切にした方がいいんじゃないかなぁ、と思ったり。
自分を大切にするには、自分のことを知らないといけないわけで。
ダメな自分も知ることになるけど、ダメだからしょうがない、じゃなくて、ダメだけどこうしたい、が大事なんだろうなぁ、とか。
別件のマウンティングの時も思ったけど)

ダメだからしょうがないっていう私の中にある自暴自棄感を「アタラクシア」を読んで強く感じたのかもしれません。

・・・何を言ってるのか自分で分からなくなってきました…

 

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そうそう、あと、
被害者なんだから加害者になってもしょうがないだろう、みたいなのは良くないなぁ、と思いました。
開き直ってるというか、逆ギレしてるというか。
まぁ、これも私がそうだから、目についてしまったんですけど。

被害者だからって加害者になっていい理由にならないと自分が思うことが大切なんじゃないかな、と客観的にみると思ったり。
きれいごとでただの理想論だとしても、でもそれが大切なんじゃないかな、と。

 

とはいえ、今でもイライラして人に八つ当たりしてしまうことはたびたびあるんですよね。
まぁ、前は、事情があるんだから八つ当たりしてもしょうがないじゃん!と開き直っていたけれど、
今は、事情はあるけど八つ当たりした私が悪いです、と思うように心がけているというか…

 

たぶん、今のほうが私に余裕があるんだろうなぁ。
過去の私は余裕がなかった。
きっと私の親も余裕がなかったんだろうなぁ…

今は周りの人たちや環境に恵まれているからか、
今のほうが余裕があって、視野が広くなって、ラクに生きられてるような気がします。
前より息苦しくない。

って、また何を言ってるかわからなくなってきました。

 

まぁ、こんな感じで「アタラクシア」を読んでがっつり抉られました笑


 

ふと思ったんですけど、この感想って私が自分で自分に言い聞かせてるみたいですよね…
ホーム感のある「アタラクシア」の世界は馴染みがあるから故郷のように懐かしいけど、それは息苦しいからよくない、と自分に言い聞かせてる。
だからいつもより感情的になって、感想がまとまらないのかもしれません。

小説「アタラクシア」を読んで、故郷のような懐かしさと息苦しさを感じて、
私ってけっこう変わったんだなぁ…、と思いました。

 

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