自分の人生を受け入れてありのまま生きていく。小説『推し、燃ゆ』の感想

自分の人生を受け入れてありのまま生きていく。小説『推し、燃ゆ』の感想

生きることがつらい。
現実が苦しすぎるから自分を守るために逃避する。
推しのいる世界へ。

それくらい、今の現実は生きづらいのかもしれないなぁ…

でも、他人からどう見えたとしても。
自分の人生を受け入れて責任を取って、ありのまま生きていく覚悟を決めたなら。
きっと大丈夫。

 

すごくおもしろかった。
とても興味深かった。

 

『推し、燃ゆ』

 

宇佐見りんさんが書かれた小説『推し、燃ゆ』。
第164回芥川賞受賞作です。

推しが出てくる本が芥川賞を受賞!?
ということで興味を持ち、読んでみました。
(私がアイドルのファンだから笑)

 

すごく読みやすかったです。

小説の中の出来事がめちゃくちゃリアルで。
SNS発展後にアイドルのファンになったことがある人なら、「これ、まんまじゃない?」と感じる所があると思います笑

 

ということで、小説『推し、燃ゆ』の感想を書きました。
私が一人の人間として思ったことと、一人のアイドルファンとして思ったことを分けて書いています。

めちゃくちゃネタバレしているので、ご注意ください。


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『推し、燃ゆ』の感想

一人の人間として思ったこと

この小説の最後がとても好きです。
私には前向きに感じられました。

 

それまでの主人公は、とにかくしんどそうなんですよね。
淡々としているけれど、実はすごく不安で、孤独を感じてる。

現実が、苦しくて、苦しくて、仕方がない。

つらい。
すごくつらい。
それなのに、誰にもわかってもらえない。

そんな現実から逃避させてくれるのが、推しという存在。

 

主人公は、自分の人生に対して自暴自棄になっているようにも見える…
きっとそうなってしまうほど、つらい。

 

あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著)より引用

 

ここにある「何か」とは「推すこと」。

 

一種の自傷行為かもしれない、と思いました。

 

でも、「推す」という行為は、現実の周りの人から見たら、好きな推しを好きなだけ推してるように見える。
自傷行為には見えない。

当然、周囲の人が主人公のつらさを理解することはない。

 

「推し」に打ち込めば打ち込むほど、注ぎ込めば注ぎ込むほど。
現実の状況は悪い方に進んでいく。

現実から逃避して自分を守るための「推すこと」が、さらに現実の状況を悪くしていく。
(推しに限らず、こういうことは現実に溢れているような気がする)

 

そして、主人公の生きる手立てだった自分の背骨である推しが、アイドルを辞めて芸能界を引退する。

 

あぁ…
この主人公は死んでしまうかもしれない。
自分で自分の命を絶ってしまうかもしれない。

と思いながら、読み進めました。

 

そしたら、最後。
主人公が推し(?)のマンションに行った以降がすごく良くて。

 

人によって解釈が異なる終わり方なのかな、と思いましたが、
私が思ったのは以下です。

  • 洗濯物を見て、推しは人であると認識する
  • 自業自得だと気づく
    (推しを推すことは業(ごう)であるはずだった)
  • 後始末がラクな綿棒を選んだ自分と表舞台のことを忘れて人を殴った推しは、別な人間だと認識する
  • 自分の生きる姿勢に気づく
  • 周囲に合わせた生き方ではなく自分の人生を自分として生きようと思う

 

このラストで個人的に特に刺さった所が2つあって。

1つ目は、この主人公が、自業自得と受け入れた所。
こんな心身ともにボロボロの状態で。
今の現実になってしまったことを、推しのせいにもしない、家族のせいにもしない。
人のせいにしない。

自分のこれまでの言動を受け入れて、自分の人生を認めて。
自分で責任をとってる。

 

2つ目が、自分の生きる姿勢を見つけてありのまま生きていこうとしている所。
周囲からどう見えたとしても、自分として生きていく覚悟を決めた所。

最後の2段落がすごく良かった…
胸が熱くなったというか、ゾクッとしたというか。
すごく好きです。

 

人のせいにしない。
自分の言動を受け入れて責任をとって。
これから自分の人生をありのまま生きていく主人公は、這いつくばってても、きっとかっこいい。

と私は思いました。

 

推しを推して失ったこともあるけど、
推しを推さなければ見つけられなかったこともある。

 

自暴自棄になることは良くないけど、
もしあまりに現実がつらくて自暴自棄になってしまったら。

そのことを自分で受け入れて、認めて、責任をとって。
周りからどう見えようとも、自分の姿勢で生きていけばいい。

 

生きるって、そういうことかもしれないなぁ…

と思いました。

 

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一人のアイドルファンとして思ったこと

そもそも推しってなんだろう?と思いましたよね。

信仰の対象?
同一化する対象?

っていうか、信仰って、同一化って、ナニ???

と調べたり考えたりしていたら、頭の中で混乱してしまい…
推しとは何か?について、今考えることは諦めました笑

 

一人のアイドルファンとしては、主人公のような目的で推してるファンもいるんだなぁ、というのが興味深かったです。
新鮮というか、衝撃というか。
なるほどとも思ったり。

(まぁ小説だから、こういうファンが実在するかはわからないけど)

 

もし主人公のようなファンが本当にたくさんいたとしたら…

話が飛んでしまうけれど、アイドルのビジネスについて考えてしまった。

ファンに頑張らせる、ファンへ頑張りを求めるようなアイドルの売り出し方は、私は好きになれないな、と。

 

現実が苦しい主人公の、逃避先だった「推し」。
結果的に推しの引退が主人公にとっての転機となったけれど、みんながみんな、主人公のようになるとは限らない。
ずっと苦しいまま推し続けるファンも、いるのかもしれない。

現実がより苦しくなってしまうような推し方はさせないであげてほしい…

 

体力やお金や時間などを切り捨てさせないであげてほしい。
つらい思いをさせて注ぎ込み続けさせないであげてほしい。

 

売り出し方として、アイドル側(正確にはアイドルをマネジメントしている大人側)が、ファンに頑張ることを求めていることも多いように私は感じていて。
もちろんファンが一方的に頑張ってしまうこともあるだろうけど。

求められて頑張るのと、求められてないのに頑張るのでは、自分を切り捨てて推すことへのファンにとっての正当性が全く違う。

 

ファンに頑張ってもらった方がビジネスとして都合がいいんだろうけど、主人公のようなファンもいるならば、

体力やお金や時間などを日常的に継続して大量に使わせることをファンに求めるような売り出し方は、私は好きになれないな、と思いました。

 

あと、推される方も人間。
推しも人間である、という所も複雑ですよね。

アイドルの中には。
もしかしたらその状況を苦しく思う人もいるかもしれない。

ビジネスとしての利益を享受してアイドルをマネジメントしている大人側の責任として、アイドル本人のメンタルもきちんとケアしてほしい、と思いました。

って、話がそれたかな。
なんかうまく伝えられない…
わかりづらくてすみません。

 

最後に、一ファンとしてめちゃくちゃ刺さったのが以下です。

まともなことを言われている気がしたけど、あたしの頭の中の声が、「今がつらいんだよ」と塗り込めた。聞き入れる必要のあることと、身を守るために逃避していいことの取捨選択が、まるでできなくなっている。

『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著)より引用

 

一人のファンとして。
私と主人公は別なものではないと思います。
同じ道の上にいる。

「推し」に逃避する。
それが現実をより楽しくするためなのかもしれないし、現実を生きるためなのかもしれないし、他の何かのためなのかもしれないし。

どんなにすばらしい薬も、使い方次第で毒にもなりうる。

 

「聞き入れる必要のあることと、身を守るために逃避していいことの、取捨選択ができること」

 

これが、すごく大切なんだろうなぁ…

一人のアイドルファンとして、肝に銘じたい、と思いました。


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あとがき

『推し、燃ゆ』、すごくおもしろかった!
読んで良かった!

 

ところで作者の宇佐見さんは今21歳なんですね。
(2021/3時点)
若い!
それでいてこの内容。
すごい!

 

これからどんな作品を生み出してくれるのか…
とても楽しみです!