お守り(冷静さを保つ努力)と安全配慮義務(管理職の上司は交渉相手)
数十年生きていると、私の人生において今窮地に陥っているな、ということも起きる。
じわじわ窮地に陥るパターンと、一瞬で窮地に陥るパターンと。
今回のは一瞬で窮地に陥ったパターン。
この窮地を抜け出せるのは、数日後か、数週間後か、もっと先か…
まったく予想もつかないけれど。
明るい未来につながると信じて、自分の想いを信じて、進まなければならない。
少なくとも、下ではなく前を向かなければならない。
守りたいものを守るために。
戦わなければいけない時はある。
滅入った時はキンプリを見ればいいし!
きっと私を元気にしてくれる。
迷うし恐れるけど、私も戦うよ
以前のようなブログを書ける日がしれっとあっさり訪れると信じて
というブログを書いたのが、2020/6/30。
6/30の時点で、すでにかなりやられてますね笑
って、笑えないくらい、本当にマジでやばかった。
それから一週間以上が過ぎて。
とりあえず私の気持ちは落ち着いてきました。
具体的な出来事の詳細は省きますが、なかなかにしんどかった…
でも、いろんな発見がありました。
めちゃくちゃ雑に言うと、
- 労働者個人のことはまったく配慮しない会社(使用者である経営者や管理職)もナチュラルに存在してる
- 労働者が働きすぎで死のうが本当にマジで構わないと会社は思っている
- 経営者や管理職に自分がなりたい場合を除き、会社の利益のための労働者からの配慮は不要
- どんなに非効率で無駄で意味がないと思っても、経営者や管理職の指示通りに労働するのが労働者の業務
感情的になってしまうかもしれませんが、
私の気持ちと考えの整理のためにブログを書こうと思います。
(かなり読みにくいかと思います。すみません)
なお、これは私が知っている会社・職場の話で、すべての会社(経営者・管理職)が同じではないと思います。
ご考慮ください。
【目次】
労働者の健康を配慮しない会社
今回、会社は労働者個人のことは何も配慮しないんだな、
労働者はマジでただの駒の一つなんだな、と痛感しました。
正社員などの雇用契約(労働契約)を結んだ、「使用者(経営者や管理職)」と「労働者」の話で。
労働者は会社の利益のために全力で、プライベートを犠牲にして、自分の健康を害するくらい働いて。
さすがにこれだと死にそうだから少し労働者のことも配慮してもらえないか、と言ったら
じゃあ働いて死ぬか辞めるかして、みたいな。
従業員を何万人と抱えている大企業なんだから対応のしようはあるだろうに。
失望というか、悲しみというか、怒りというか。
労働基準法や労働契約法について調べたりして。
労働契約法の第5条「安全配慮義務」。
使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
※「生命、身体等の安全」には心身の健康も含まれる
労働契約法は、労働基準法のように罰則があるわけではなく、民事的に使われる法律らしく。
安全配慮義務違反で労働者が会社に損害賠償を請求した裁判があったりするみたい。
労働者がこれで訴えようと思ったら、弁護士にお願いして裁判して。
会社も全力で戦うだろうから、かなり長期化するんだろうな、と。
自治体に相談する連絡先があるんだ。
あとはユニオンか…
最終的には弁護士か…
などなど。
っていうか…
なんで私は、「さすがに会社も労働者の健康は配慮してくれるだろう」と思っていたんだろう…
勝手に勘違いしてた…
そもそも会社と労働者は雇用契約(労働契約)を結んでいるだけなわけで。
労働者の健康なんて会社は配慮しないのに。
会社のために労働者は忠誠を尽くして働くのが当たり前、と勝手に勘違いして思い込んでいたんだな、と気づきました。
労働力を提供するだけ
なんで私は労働者個人は会社の経営を配慮するべき、と思ってたんだろう?
なんで私は労働者は犠牲を払ってでも会社の利益のために働くべき、と勘違いして思い込んでいたんだろう?
会社と労働者は契約のうえになりたつ関係で。
労働者側から見たら、労働力を提供する対価としてお金をもらう。
それだけ。
労働者は、個人の健康やプライベートに悪い影響を与えても会社に利益をもたらして忠誠を尽くすべき、という価値観。
今回の件で、私はこういう価値観を持っていて、それは間違ってるな、と気づきました。
労働契約を結んでいる労働者は、会社に労働力を提供すればいい。
会社の利益について考えるのは、「労働者」ではなく経営者や管理職などの「使用者」。
つまり、労働者は「使用者」である上司の言う通りに労働すればそれでいい。
どんなに非効率で無駄で意味がないと思っても、上司の指示通りに労働すればそれでいい。
そして労働力と引き換えにお金をもらう。
「雇用契約」は労働力の提供なんだから。
労働者個人としては、契約における自分の権利をしっかり主張して、会社と交渉すればいい。
会社は身内でも家族でも信頼しあえる人間関係を築く場でもない。
会社なので当たり前。
だから、労働者が、経営者や管理職である上司を、身内や家族や信頼しあえる人間と思って配慮する必要はない。
上司は、自分の労働力の提供について契約する交渉相手。
身内でも家族でも信頼できる人間でもないんだから。
交渉相手として接するのが筋。
ということに気づいたりしました。
労働者は会社に忠誠を尽くすべき、という価値観。
これが、一般的で普通で素晴らしい価値観。
と私が思ってたのは、なんでなんでしょうね…
マスコミの影響なのか、周囲の人間関係からの影響なのか、理由はわかりませんが。
(日本的な価値観なのかな)
あまりに自然にありすぎて、こういう自分の価値観に気付いていなかった。
ちゃんと考えたこともなかったなぁ…
確かに数十年前の日本なら、会社への忠誠を誓う働き方でよかったのかもしれないですよね。
実際、年功序列の終身雇用だったろうし。
社員は家族のように扱います、みたいな会社だって少なくなかったはずで。
でもいまや…
リストラもよくあるし、成果主義だし、労働者は使い捨て。
「会社は社員は家族のように扱います」という雰囲気だけが社会的に今も残っていて。
実態とは真逆。
こういう状況が、今の日本の会社のほとんどなのかもしれません…
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お守り
こんな日々だったので、かなりやられました。
そもそも私は戦うのが好きじゃない…
めちゃくちゃ疲れる。
ビビりだから、めちゃくちゃ不安だし、怖いし、見たくないし。
今回の件も、下を向かずに顔を上げて現実を見届けるくらいしかできていないのかも。
でも現実を見届けられただけ、私にとっては大きな一歩なのかなぁ。
こういう不安や恐怖やビビる気持ちがあっても、冷静に対処できる自分になりたい…
事態がもっと長引いていたら、この感情にのまれて理性を失っていたかもしれないし。
こういう時「お守り」があると自分を保てるもんなんだな、と思いました。
「お守り」
まずはキンプリ。
現実世界の不安や恐怖に押しつぶされそうになっても、とりあえずキンプリを見ている間はそのことを忘れられる。
アイドルってすごいわ。
こういう時間があったから、まだ自分を保つことができたのかも。
あとは、心理学や脳科学系の動画。
一日に一度必ず見ていたら、かなりラクになりました。
運動を推奨していたので、気が乗らなくても無理矢理やってみたり。
心理学系の動画をみながら30分くらい運動したら、少し前向きさを取り戻せたような気がします。
他にもあるけど、いずれにせよ、
私の場合、冷静さを保つには努力が必要なんだな、と思いました。
気が乗らなくても、努力してリラックスしたり前向きになれるような時間を持つこと。
現実から目を背けられる時間があった方が、長期間、冷静な自分でいることができる。
不安や恐怖の感情に支配されてしまうのは、とてもつらいから。
労働者ではなく一人の人間として。
自分のお守りになるような、冷静さを保てる方法を努力して探していくことはとても大事だなぁ、と思いました。
【過去記事】
最終的に部署として完全に機能しなくなったけれど、そういう上司を管理職にしたのが会社の判断なわけで。
会社の利益にならないのになんであの上司はこんなことをするんだ!と当時は思っていたけれど…
一労働者である私が会社の利益について考える必要はなかったってことか…
とはいえ、全部私のせいって言われ続けるのはやっぱりしんどい…