ジャニーさん、ありがとうございました

2019年7月9日、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが亡くなりました。
享年87歳で、本日7月12日に家族葬が営まれたそうです。

私はおよそ1年前からキンプリのファンになったのですが、その前からジャニーさんの存在は知っていました。
私に限らずおそらく日本に住んでいる人なら、ジャニーさんって名前は知ってる、みたいな人が多いのではないでしょうか。
テレビで姿を見たことはないし、声も聞いたことはないけど、名前は知ってる。
不思議な存在ですよね。

最近は平野紫耀さんやキンプリのメンバーがジャニーさんのエピソードを話したり、
ファンの方々からジャニーさんのいろんなエピソードを聞いたことがあったので、以前より身近に感じていますが。
ジャニーさんは伝説の生物、となんとなく思っていたのか、訃報を聞いて、本当に人間だったんだ、みたいな気持ちになりました。

って、早速何を言いたいかわからなくなってきました。
すみません。
よくわからないけど私自身が混乱しているみたいです。

 

空

 

私事なのですが、幸いなことに私はこれまで身近な人を亡くしたことがないんですよね。
だから、そうなった時の自分の気持ちがまだよくわからないんです。
もちろん身近な人を亡くした方の気持ちを配慮したいし、その方の気持ちを尊重したい。
当然亡くなった方を偲ぶ気持ちもあります。
でも、どういうことが相手の気持ちを尊重していることになるのか、自分で経験がないからわからないというか。
「人の死」ってすごく繊細なことだし、なんとなく考えてはいけないことのような気がして、私自身これまで深く考えたことがない、というのが正直な所なんだと思います。
だから身近か身近じゃないかにかかわらず、人が亡くなった時の自分の気持ちや処理の仕方も、よくわからないんです。

ジャニーさんが亡くなって、そんな私が今感じている気持ちは、なんとなく悲しい。

当然、実際交流があった身近な方、例えばご家族やジャニーズ事務所の方に比べれば、
ここで話に出すのも申し訳ないくらい悲しさの質や量も全然違うし、
やっぱりそういう方々の気持ちは今の私にはわからないだろうな、と思います。
だから、ジャニーさんと交流があった身近な方々は、同じような気持ちを感じている方々や本当に仲の良い方々同士でそのことについてお話しできていたらいいな、と思っています。

このブログでは、私なりに、
人の死についてきちんと考えたことがなくて直接ジャニーさんとは関係がなかった私なりに、
ジャニーさんについて考えることで、私自身の気持ちの整理をさせてもらえたらな、と思います。

今回は私自身のことについてしか書いていない記事で、ジャニーさんとはなんの関わりもなかった一般人の気持ちになります。
不謹慎な内容かもしれませんので、不快な気持ちになりそうな方は読まないでいただけると助かります。

 


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正直な所、私とジャニーさんは全く関わりがないんですよね。
完全に無関係です。
ずっとジャニーズファンだったり、特にジュニアのファンだったりすると、
ジャニーさんをより身近に感じると思うので私とは違うだろうな、とも思いますが。

だから、「なんとなく悲しい」っていう感情が自分の中にあることが少し意外で。
キンプリのファンになる前の私が今回の訃報を聞いたとしたら、
亡くなったんだ、とか
こんなにたくさんのスターを生み出してすごいね、とか
タレントからすごい愛されてるね、とか
ジャニーさんがいなくなったらジャニーズ事務所ってどうなるんだろうね、とか。
世間一般のジャニーズファンではない方と同じような反応になったと思います。

 

だからおそらくキンプリファンになったこの1年で何かが変わったんだと思うんですよね。

私の「なんとなく悲しい」ってなんなんでしょう。

私はジャニーさんの創りあげた舞台の一つである「ジャニーズ King & Prince アイランド」を1度だけ見たことがあるんですけど、こういう舞台がなくなってしまうことが悲しいのかな。
確かにこの舞台すっごい楽しかったです。
ビックリして、ワクワクして。
奇想天外!みたいな、その独自の世界観がすごくおもしろかった。
こういうジャニーさん独自の世界観がなくなってしまうことが、なんとなく悲しい、というのはあるのかもしれません。
こういう独特の世界が存在していることが、おもしろかったのに…
舞台の製作者としてのジャニーさんがいなくなってしまって、悲しいです。

 

あとは、タレントが話すジャニーさんのエピソードが聞けなくなってしまうのも、寂しい。
ジャニーさんのエピソードって普通にかなりおもしろいですよね。
・・・でも、おもしろいだけでもないような気がする。
・・・。
年がすごく離れているのに、すごく目上の人なのに、若い人が目上の人のことを公の場でおもしろがれるっていう人間関係を見るのが、私は好きだったのかもしれません。
例えば会社だったりしたら、こういう人間関係ってあんまり見ないですよね。
事務所の社長であんなに年上なジャニーさんが、まだスキル的にはおそらく未熟な若い人のことも尊重してるから、タレントもジャニーさんもお互い対等な関係を築けているような気がするというか。
エピソードがおもしろいというのもありますけど、タレントがジャニーさんのエピソードを話す時にそんな人間同士の関係性を感じられるから私は好きで、見ている私もあたたかい気持ちになれるそういうあたたかい関係がなくなってしまったことが寂しいのかもしれません。

 

と思うと、ジャニーさんが亡くなって初めて気が付いたけど、私はこういう気持ちなんだと思います。

おもしろい舞台を作ってくれてすごく楽しかったです。
ジャニーさんの舞台の世界観がなくなってしまうことが悲しい。
楽しい気持ちにさせてくれて、ありがとうございました。

タレントとの関係性が好きでした。
そういうあたたかい関係がなくなってしまうことが寂しい。
あたたかい気持ちにさせてくれて、ありがとうございました。

 


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話はそれますが、先日、「俺のスカートどこいった」のドラマの中で
「ありがとう」と「ごめんなさい」は伝えたい、という女性が出てくる話があったかと思います。
私はこの女性に対して、なんかいいな、という印象を抱いていたんですけど、なんでいいと思うかわからなくて。
実はこのドラマの前から
「ありがとう」と「ごめんなさい」は伝えた方がいいって思うしよく言われるけど、なんで伝えた方がいいんだろう?って、疑問だったんですよね。
感謝と謝罪の気持ちを自分の中に持っているのは変わらないのに、伝えることになんの意味があるんだろう?、と。
伝えることは素敵でいいことだから私も伝えられるようになりたい、と漠然と思っているけれど、私の中に感謝や謝罪の気持ちが存在しているのは伝えても伝えなくても変わらないわけで。

それで、今、
ジャニーさんに対して感謝したい、
「ありがとう」って伝えたいと思ったんですよね。
(そもそも伝えられる関係ではない、ということは置いておいて)
感謝の気持ちが私の中に存在しているのは伝えても伝えなくても変わらないけど、でも伝えられたらよかったな、と。
おそらくジャニーさんが亡くなってしまって絶対伝えられない状況になったから、今そう思うんだと思うのですが。
できない状況になってから、しておけばよかったと気付くのは日常の生活でもよくあることですけど、
もしかしたら、「ありがとう」を伝えたい、もこういうことなのかもしれないなぁ…
みんないつかは必ず死んでしまうわけで、絶対伝えられない状況は訪れますよね…
まだ私にはよくわからないけど、「ごめんなさい」についても同じような感じなのかなぁ…

私は身近な相手であればあるほど、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だけど、
「ありがとう」と思う気持ちが少しでもあるなら、伝えることができる今、できるだけ相手に伝えていけたらいいな、と思いました。

 

書いていたら、なんとなく気持ちの整理ができたような気がします。

ジャニーさん、
エンターテイメントを届けてくれて、
幸せを感じさせてくれて、
本当にありがとうございました。